きょうの天鐘

●天鐘(2008/04/15掲載)
 明治文壇の旗手坪内逍遥の朝食はバターをたっぷり塗ったトーストと決まっていたが、火鉢に網を載せ、自身の手で焼くのを常としていた。こればかりは妻も手を出せず、うまく焼けるとことのほか機嫌がよかった▼逍遥のこだわりはそれだけにとどまらない。パンは東京・神田の精養軒、バターは岩手・小岩井農場のものでなければならなかった。逍遥夫妻の養女となった飯塚クニが『父X逍遥の背中』(中公文庫)に書いている▼夏目漱石も朝は耳を落とした食パンを自分で焼き、バターを付けて子供たちにもちぎって与えたというから、ことパン食に関して明治の男たちは手間暇をいとわなかったものとみえる。逍遥が好んだ小岩井のバターは、一九〇二年に製造が始まった▼バターと書いたが、明治から昭和にかけてはバタと言うのが一般的。漱石の小説『それから』にも、焼いたパンに「牛酪」(バタ)を付けた朝食の光景が出てくる。西洋風な感じを意味する「バタくさい」という言葉はその名残だ▼独特な香りと芳醇な風味が持ち味の、そのバターが全国的に品薄状態だ。近くのスーパーに行っても品切れを伝えるおわびの張り紙があるだけ。国産生乳の減産に加え中国などでの需要の高まりが追い打ちをかける▼業務用バターの輸入前倒しで品薄は幾分和らぐものとみられるが、値上げも待ち受けているから踏んだり蹴ったり。コメに限らず生産調整という日本農業の問題点は根深い。