熱き指導者たち
| <2> 軟式野球 名農高監督 大湯 輔 | ||
| 「我慢、耐えることを教えたい」 | ||
| (2003/04/09) | ||
「目立ちたがり屋だったから、騒がれるのは気持ちよかった。でも、試合で活躍もしてないのに取り上げられるのは嫌だったな」と苦笑いする。 左利きの三塁手は今、野球部の若き監督だ。高校卒業後、実習助手として名農高に赴任。2年目から監督となり、夢だった指導者の道を歩んでいる。ただし、「軟式」の、である。 高校野球といえば硬式野球、甲子園。軟式には抵抗があった。試合なのに観客がほとんどいない。飛ばない打球、ボンボンとグラウンドをはねるボール、プレーも雑に見えた。3年間プレーした硬式との違いを感じ「これで野球かなって、正直びっくりした」 でも、今は「選手は一生懸命頑張っているし、チームプレーであることには変わりはない」と感じている。硬式の部をつくりたいというこだわりもなくなった。 チームは着実に強くなっている。3年前に監督就任後、初めて公式戦で勝利を収め、昨年は県春季大会準優勝、県高総体3位にチームを導いた。まいた種が芽を出し始め、さい配の面白さが徐々に分かってきた。 同時に、監督の大変さも実感する。自分が選手だったときには考えられないミスが出ると「歯がゆくなるときがある」という。「言いたいことが伝わらないときもあるし、監督はつらい。やっぱり選手の方がいいですね」と本音もちらりとのぞかせた。 入ってくる部員は素人がほとんど。高校のときは自分が一番だと思い、下手な選手に練習を合わせるということはなかった。監督になって、「頑張っている選手の気持ちに近づこうと思うようになった」。自分も少しずつ成長している。 当時の弘前実高の外崎忠彦監督が、なぜ左利きの自分を三塁で使ったのか、疑問に思うことがある。「自分が監督なら、実力が同じくらいの右利きの選手を使うのに」 自分を育ててくれた常識破りのさい配に、今は感謝の気持ちでいっぱいだ。県制覇のほかに、もう一つ夢がある。「左の内野手を育ててみたい」と強く思っている。
◆ 略 歴 ◆ |
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