熱き指導者たち

<2> 軟式野球 名農高監督 大湯 輔
「我慢、耐えることを教えたい」
(2003/04/09)
大湯 輔(おおゆ・たすく)弘前市出身。裾野中―弘前実高。3年時に三塁の正選手として甲子園に出場した。高校卒業後の1997年から名農高の実習助手。
 1996年夏、1人の内野手が高校野球ファンの注目を浴びた。弘前実高三塁手の大湯輔。型破りの左利きの内野手だった。県大会決勝で好投手左腕・洗平竜也を擁する光星高を破り、甲子園への切符を手にしたことで、全国から関心を集めた。
 「目立ちたがり屋だったから、騒がれるのは気持ちよかった。でも、試合で活躍もしてないのに取り上げられるのは嫌だったな」と苦笑いする。
 左利きの三塁手は今、野球部の若き監督だ。高校卒業後、実習助手として名農高に赴任。2年目から監督となり、夢だった指導者の道を歩んでいる。ただし、「軟式」の、である。
 高校野球といえば硬式野球、甲子園。軟式には抵抗があった。試合なのに観客がほとんどいない。飛ばない打球、ボンボンとグラウンドをはねるボール、プレーも雑に見えた。3年間プレーした硬式との違いを感じ「これで野球かなって、正直びっくりした」
 でも、今は「選手は一生懸命頑張っているし、チームプレーであることには変わりはない」と感じている。硬式の部をつくりたいというこだわりもなくなった。
 チームは着実に強くなっている。3年前に監督就任後、初めて公式戦で勝利を収め、昨年は県春季大会準優勝、県高総体3位にチームを導いた。まいた種が芽を出し始め、さい配の面白さが徐々に分かってきた。
 同時に、監督の大変さも実感する。自分が選手だったときには考えられないミスが出ると「歯がゆくなるときがある」という。「言いたいことが伝わらないときもあるし、監督はつらい。やっぱり選手の方がいいですね」と本音もちらりとのぞかせた。
 入ってくる部員は素人がほとんど。高校のときは自分が一番だと思い、下手な選手に練習を合わせるということはなかった。監督になって、「頑張っている選手の気持ちに近づこうと思うようになった」。自分も少しずつ成長している。
 当時の弘前実高の外崎忠彦監督が、なぜ左利きの自分を三塁で使ったのか、疑問に思うことがある。「自分が監督なら、実力が同じくらいの右利きの選手を使うのに」
 自分を育ててくれた常識破りのさい配に、今は感謝の気持ちでいっぱいだ。県制覇のほかに、もう一つ夢がある。「左の内野手を育ててみたい」と強く思っている。

◆ 略 歴 ◆
 大湯 輔(おおゆ・たすく)弘前市出身。裾野中―弘前実高。3年時に三塁の正選手として甲子園に出場した。高校卒業後の1997年から名農高の実習助手。