是川文化 よみがえる縄文
| (29) 赤染人骨 赤彩された土坑墓の謎 | |
| (2004.12.21) | |
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「ろっ骨と背骨は土壌化していたものの、頭や下腿(たい)部は保存状態も良く、体の部分が鮮やかな赤色に染まっていた」 昨年六月。八戸市縄文学習館の東側で、墓域を確認するための調査が行われた。現場で、その発掘に立ち会った市教委の小久保拓也さんは当時をこう、振り返る。 ■音喜多さんの投稿 是川・中居遺跡で見つかった「赤染人骨(あかぞめじんこつ)」である。土坑墓内の遺体は赤色顔料のベンガラで染まっていた。 小久保さんによると「ひざを折り曲げた状態で埋葬」されていた。成人の骨で、性別は不明。墓は縄文後期から晩期の遺構とみられている。 中居では昭和四十九(一九七四)年に、考古館裏手の墓域で赤染人骨二体が出土しており、その発掘調査概要にはこう記されている。 「縄文後期、男性、成人骨」 地元がこの話題で盛り上がったことはいうまでもない。それを示す一例だが、故音喜多富寿氏は本紙に「八戸是川で発掘の人骨のナゾ」と題した投稿を寄せている。 その中で、同氏はベンガラと“是川人”に考察を加える一方、泉山斐次郎氏から聞いた話として、過去に中居でもう一体の赤染人骨が発見されたエピソードを紹介。最後にこう結んでいる。 「是川の赤染人骨から多くの謎をかけられてしまった。そして、私自身の手でわが頭を抱えている」 “文武両道”の音喜多さんは、地元の遺跡の発掘に取り組む傍ら、雑誌「奥南史苑」を発行、多くの後継者を育てたことでも知られる。 ■“死に化粧”説も 縄文の後・晩期を中心として、北海道を含む北東北の地域では死者を葬る際、ベンガラをふりまく風習が広く行われたという。 なぜ、墓に赤なのか、縄文人にとって、赤は命を意味する血の色であり、それによって死者の再生を願った、とされるが、それも確たる証拠はないようである。 興味深いのは、中居に限らず、ほかの遺跡でも、赤色土壌が検出されるケースと、そうでない墓に色分けされる点だろう。墓によって、ベンガラは“限定使用”されていたのだろうか。 とすれば、特殊な人物―例えばムラの統率者―を対象にした、葬送儀礼という解釈もできるわけで、そこから当時の階層社会が見えてくる、と主張する研究者も。 赤染人骨をめぐる解釈にも定説はないようだ。これについては(1)墓にまいたベンガラが被葬者の衣服に付き、それが骨に付着した(2)直接、遺体の体に塗った―説が唱えられている。 市川金丸・前県考古学会長によると、赤染人骨は「足の裏まで赤が沈着しており、直接、皮膚に塗ったことも考えられる」そうだ。 ■屈葬と集石遺構 だが、それも仮説でしかない。全国的な報告事例が少ない中で、赤染人骨にかかわる問題について、結論を出すのは難しい。ちなみに、市川さんは“音喜多学校”の数多い門下生の中の一人で、昭和四十九年の中居発掘の際は調査団長を務めた。 アミニズムの世界を生きた縄文人が、死者に対して極度の恐怖感を抱いていたという説がある。 両ひざを立てるようにして葬るパターンの屈葬や、埋葬関連の集石遺構が多くみられることが、その根拠として挙げられる。これは、死者が立ち上がって動きだすのを抑止する、縄文人なりの「再起防止」策というわけだ。 そう考えると、土坑墓(あるいは被葬者)にふりかけたべンガラの赤には、再生というより、死者を封じ込めるための呪術(じゅじゅつ)的な意味がもたされていたのかもしれない。 これまでに、中居で検出された赤染人骨三体に関していえば、埋葬パターンはいずれも屈葬であり、考古館側で発見された二体も、集石遺構を伴っていたという。それをどう解釈したらいいのか。 漆製品や土器なら、掘り出せるが、形のない縄文人の心や死生観まで発掘するのは難しい。三十年も前に、音喜多さんにかけられた謎は依然として、解き明かされていないようにも思える。 (編集委員・江波戸宏) − 縄 報 録 − ●後・晩期に本格化 赤色顔料が墓にまかれた代表的なケースといえば、北海道千歳市のカリンバ3遺跡だろう。もし人骨が残っていれば、おそらく赤染人骨も発見できたに違いない。最古のケースは、同じく道南の湯の里遺跡(知内町、旧石器時代)とされている。 青森県内では縄文早期の大石平1遺跡(六ケ所村)から、赤く染まった石器が出土しているが、墓にそれが使用され始めるのは中期以降で、後・晩期に本格化するようだ。 その検出遺跡は少なくない。中居以外では、後期の風張(八戸市)で発見された土坑墓約130基のうち、11基にベンガラの使用を確認。また晩期の明戸(十和田市)でも16基中、12基から検出されている。八戸市の八幡は中居と同時期の遺跡だが、ここの墓に屈葬されていた、男性とみられる人骨の頭部に赤色顔料が付着していたのが確認されている。同じような例は滝端(階上町)にもあるという。 カリンバ3や中居の事例が示すように、葬送儀礼用の赤色顔料はベンガラだけでなく、水銀朱も使われていた。 |
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