記者リポート

「菊駒」銘柄変更
(2007/06/09)

 地元の五戸町をはじめ県内外の左党に衝撃を与えた銘酒「菊駒」の銘柄変更。十五日の出荷停止が迫り、変更を惜しむファンからは「歴史ある銘柄を何とか残して」と戸惑う声が上がっている。直接的には、菊駒を製造、販売する八戸酒類(橋本八右衛門社長・八戸市)と商標、建物を持つ菊駒酒造店(三浦和子社長・五戸町)による商標権をめぐる訴訟の影響だが、背景には、戦中戦後の混乱期における企業統合の経緯にも要因がありそうだ。
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 八戸酒類は一九四四年、戦時下の企業整備令により三八地方の造り酒屋を統合して設立された。五工場がそれぞれで「八鶴」「菊駒」「男山」などの銘柄を造ることとなり、その際、酒造権は八戸酒類に一本化。戦後、整備令が解除された後も、八戸酒類は統合したままの企業形態を維持していた。
 しかし近年になって、蔵元が八戸酒類からの独立分離を求める動きが起こり始めた。九七年には、当時、男山工場の工場長を務めていた駒井庄三郎氏(八代目)が同社を退職し、直後に八戸酒造(八戸市)を設立。さらに「陸奥男山」など四銘柄の商標使用差し止めを求め提訴したことは記憶に新しい。
 今回、商標権侵害の差し止めを求め、八戸酒類を提訴している菊駒酒造の狙いも、独立して菊駒を製造することにある。三浦社長は「統合した当時はそれなりの理由があったと思う」とした上で、「無理やり一緒にしたので後々問題が出てきて当たり前」と、協業関係に弊害が生じていることを明かした。
 企業整備令によって統合されたのは、八戸酒類ばかりではない。「桃川」(おいらせ町)の前身・村井酒造店も四四年、上北郡と下北郡の酒造店と合併し二北酒造を設立。八戸酒類とは異なり、経営基盤が整ったことなどから八四年、四銘柄を独立分離させて現在の社名に改称した。
 八軒が合併してできた岩手県陸前高田市の「酔仙酒造」は、合併当時のままの体制を現在まで維持している。しかし、同社は酒造免許とともに銘柄も一本化したため、状況はかなり異なる。
 統合の形態がさまざまあることについて、ある関係者は「国からの指示があいまいだったためではないか」とみる。原料のコメが貴重な戦時下で統合はやむを得なかったとはいえ、当時あまり重要視されていなかった商標をめぐって、これほど問題が大きくなったことは皮肉だ。
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 いずれにせよ、銘柄変更が多くのファンに打撃を与えているのは事実だ。橋本社長は「名前を残すために最大限の努力はした。お客さまを裏切る結果になり申し訳ないが、酒造りの季節を控え最後のタイミングだ」と説明する。
 変更が収入に直結する小売店の経営者は、ショックを隠し切れない。五戸町の酒店店主小保内康雄さん(54)は「お客さんは中身が同じでも別の商品と受け止める。菊駒は店の売り上げのほとんどを占めているので深刻な問題」とため息。別の男性経営者(55)は「棚を空けるわけにはいかないが残念だ。ようやく皆に認められてきたのに…」と唇をかんだ。
 さまざまな要因が重なり、菊駒の名前は市場から姿を消すこととなった。互いに主張のある八戸酒類と菊駒酒造だが「あの場所(五戸)で造る菊駒という名の酒を守りたい」という点では一致している。菊駒ブランドを支え、価値を高めてきた消費者が、係争中の裁判を見守っているということを、両社には忘れずにいてほしい。
(田村祐子)