過去の訃報(2006年)
| 2006/12/29掲載 |
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佐々木 義文氏 (ささき・よしふみ=洋野町議会議員)28日午前0時7分、病気のため久慈市内の病院で死去、76歳。旧大野村出身。自宅は洋野町帯島第5地割7の3。葬儀は1月5日午後1時から、久慈市中町第1地割41、長福寺で。喪主は長男浩之(ひろゆき)氏。 1987年から大野村議を5期務めた。99年から議長1期。2006年、町村合併に伴う在任特例で洋野町議に。村農業委員会会長、村農業共済組合組合長などを歴任した。03年、全国町村議会議長会長表彰を受賞。 |
| 2006/12/27掲載 |
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槙 哲夫氏 (まき・てつお=東北大名誉教授、外科)23日午後5時15分、肺炎のため仙台市青葉区の病院で死去、98歳。七戸町出身。自宅は仙台市青葉区土樋1の9の12。葬儀・告別式は近親者で済ませた。お別れの会を来年1月21日午後1時から仙台市青葉区中央1の10の25、仙台ホテルで開く。喪主は長女六本洽子(ろくもと・ひろこ)さん。 |
| 2006/12/26掲載 |
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小池 伸吉氏 (こいけ・しんきち=元大平洋金属社長、元八戸商工会議所副会頭)22日午後5時30分、東京都内の病院で死去、79歳。富山県出身。自宅は東京都町田市多摩川学園4の17の19。通夜は26日午後6時から、葬儀・告別式は小池家・大平洋金属合同葬として27日正午から、いずれも神奈川県相模原市古淵5の27の1、伊藤典範紫雲殿で。喪主は妻美千子(みちこ)さん。 1994年から98年まで大平洋金属の社長を務めた。専務、副社長時代の88年から94年までは八戸商工会議所の副会頭。 |
| 2006/12/24掲載 |
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藤井 昭人氏 (ふじい・あきと=三戸町立三戸中学校長)22日午前10時54分、舌がんのため八戸市内の病院で死去、59歳。田子町出身。自宅は南部町福田あかね4の22。通夜は27日午後6時から、葬式は28日午前11時から、ともに三戸町川守田柏梨52、住谷野セレモニーホールで。喪主は妻睦子(むつこ)さん。 1996年から旧名川町立剣吉中学校長を務め、2001年に三戸中校長に就いた。 |
| 2006/12/24掲載 |
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太田 泰コ氏 (おおた・やすのり=元八戸署長)22日午後9時、多臓器不全のため、青森市内の病院で死去、78歳。田舎館村出身。自宅は青森市桜川6の9の6。通夜は26日午後6時から、葬儀は27日午前11時から、いずれも青森市栄町1の6の4、珍田メモリアルホールで。喪主は長男泰秀(やすひで)氏。 八戸署長のほか青森県警交通部長などを歴任。 |
| 2006/12/23掲載 |
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中村 四郎氏 (なかむら・しろう=中村悟志デーリー東北新聞社編集局文化部長の父)22日午前11時37分、肺炎のため八戸市内の病院で死去、78歳。自宅は八戸市吹上2の22の14。通夜は25日正午からの火葬終了後に、葬式は26日午前11時から、いずれも八戸市柏崎6の24の10、メモリアルプラザ報恩で。喪主は長男悟志(さとし)氏。 |
| 2006/12/18掲載 |
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秋田 ヨシさん (あきた・よし=横浜町最高齢者)17日午前3時55分、老衰のため東北町内の病院で死去、101歳。横浜町出身。自宅は横浜町苗代川目55の3。通夜は19日午後6時から、葬儀は20日午前11時から、ともに横浜町苗代川目34の1、有畑生活改善センターで。喪主は孫達也(たつや)氏。 |
| 2006/12/05掲載 |
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大久保景造氏 (おおくぼ・けいぞう=画家) 八戸市在住の画家で、北奥羽地方の文化・芸術活動をリードしてきた大久保景造(おおくぼ・けいぞう)さんが三日午後八時五十八分、膀胱(ぼうこう)がんのため八戸市内の病院で死去した。七十歳。八戸市出身。 県立八戸高校卒業後、独学で絵画の道へ進んだ。三十代前半まではモダンアートを主とした抽象画だったが、その後に具象画へ転向。近年はかやぶき屋根の民家やえんぶりなど、地域に根差した風土や原風景などを描いていた。本年度の八戸市文化賞を受賞した。 自宅は八戸市長者二ノ五ノ一九。葬儀は九日午後一時から八戸市柏崎六ノ二四ノ一〇、メモリアルプラザ報恩で。喪主は長女の夫淳悦(じゅんえつ)氏。 |
| 2006/11/29掲載 |
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高橋 久太郎氏 (たかはし・きゅうたろう=元県立八戸西高校初代校長)27日午前9時1分、慢性腎不全のため八戸市内の病院で死去、87歳。旧福地村(現南部町)出身。自宅は八戸市尻内町矢沢1の12。通夜は12月1日午後4時から、近親者のみで行う。告別式は2日午後1時から、いずれも八戸市城下3の10の20、八戸セレモニーホール眞照堂で。喪主は妻智史(ちし)さん。 1948年、上長苗代村(現八戸市)立三条小学校で教職に就き、県立図書館副館長や三八教育事務所長などを経て、75年から八戸西高校の初代校長。80年から12年間、八戸工業大学で講師や教授などを務め、92年名誉教授となった。同年、勲四等瑞宝章を受章するなど教育活動に尽力した。 |
| 2006/11/19掲載 |
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橋本 敬三郎氏 (はしもと・けいさぶろう=元県立八戸東高校長)17日午後8時2分、八戸市の病院で死去、80歳。八戸市出身。自宅は八戸市長者1の4の16。通夜は22日午後1時からの火葬が終わり次第、近親者のみで行う。葬式は23日午後1時から、いずれも同市十六日町27の天聖寺で。喪主は妻佳(よし)さん。 1946年、八戸市立工業学校で教職に就き、八戸市立第一高と八戸市立商業高の校長を兼務。81年から八戸東高校長。 |
| 2006/11/07掲載 |
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鈴木 和彦氏 (すずき・かずひこ=元福地村立杉沢小学校校長)5日午後6時51分、急性心不全のため、八戸市内の病院で死去、74歳。五戸町出身。自宅は同市旭ケ丘5の1の39。通夜は9日午後6時から、葬儀は10日午後1時から、いずれも同市長者1の2の53の光龍寺で。喪主は妻則(のり)さん。 種差少年自然の家研修課長のほか、杉沢中、剣吉中の教頭など経て、1988年から4年間、杉沢小校長を務めた。 |
| 2006/10/24掲載 |
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金入 明義氏 八戸市選出の元県議会議員で元自民党青森県連幹事長の金入明義(かねいり・あきよし)氏が二十三日午前二時五十二分、肺がんのため八戸市内の病院で死去した。六十一歳。八戸市出身。自宅は八戸市糠塚蟹沢三四ノ一二。葬儀は二十八日午前十一時から八戸市柏崎一ノ六ノ六、プラザアーバンホールで。喪主は妻久子(ひさこ)さん。 八戸市出身、早稲田大卒。一九七五年の八戸市議選で初当選。四年後の七九年には県議選に挑戦し、初当選を飾り五期務めた。九八年には参院選青森選挙区に、二〇〇一年には八戸市長選に出馬したが、いずれも敗れ、政界を引退した。 県議時代は自民党県連の要職を歴任した。政調会長だった八七年、白神山地のブナ林を分断する青秋林道の「建設見合わせ」を裁定。幹事長時代には県営サッカー場の建設候補地をめぐり、木村守男元知事と激しい論戦を繰り広げた。 信義を重んじ、筋を貫き通す政治姿勢から“豪腕幹事長”の異名をとった。中央政界に幅広い人脈を持ち、当時の県連をけん引した。 県内のスポーツ界の発展にも寄与。自らも選手として活躍したアイスホッケーのレベル向上に尽力したほか、県自転車競技連盟会長などを務めた。 今年七月、自らが肺がんを患っていることを公表。報道各社に送ったメッセージでは「また元気な姿でお会いしたいと思います」と再起を誓っていた。 |
| 2006/10/16掲載 |
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岡田 司氏 (おかだ・つかさ=新郷村議会議員)15日午前1時35分、八戸市内の病院で死去。71歳。新郷村出身。自宅は新郷村西越日向43。通夜は17日午後6時半から、葬式は18日午前11時から、いずれも新郷村西越日向26、西越地区公民館で。喪主は長男寿夫(かずお)氏。 1995年の村議会議員補欠選挙で初当選して以来、4期連続当選で現職。 |
| 2006/09/30掲載 |
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若山 修氏 (わかやま・おさむ=元青森銀行頭取)22日午後10時21分、呼吸不全のため東京都内の病院で死去、82歳。本籍は佐井村。自宅は東京都中野区本町6の43の1の302。故人の遺志により近親者のみで27日に都内で葬儀を行った。 1946年、入行。湊支店長、人事部長、常務取締役、専務取締役などを歴任後、82年10月から95年4月まで頭取。青森放送取締役も務めた。 |
| 2006/09/25掲載 |
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山本 忠道氏 (やまもと・ただみち=弘果・弘前中央青果会長、青森県スキー連盟会長)23日午後1時24分、入院先の弘前市内の病院で死去、66歳。大鰐町出身。通夜は10月2日午後6時から、葬儀は3日午前11時から、ともに弘前市末広1の2の1、弘果・弘前中央青果で。喪主は妻ナリさん。 1999年に同社代表取締役社長に就任し、2004年から会長。92年に弘果スキーレーシングクラブを創設。トリノ冬季五輪団体スプリントで日本女子史上初の8位に入賞した福田修子選手らを育てた。 2000年から県スキー連盟会長に就任、県スキー界の発展に努めた。 |
| 2006/09/23掲載 |
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山口 孝一氏 (やまぐち・よしかず=元旧南部町教育長)21日午前4時30分、自宅火災のため死去。90歳。三戸町出身。自宅は三戸町二日町47。通夜は23日午後6時半から、葬式は24日午後2時から、ともに三戸町川守田柏梨52の住谷野セレモニーホールで。喪主は妻愛子(あいこ)さん。 東京帝大経済学部卒。1948年に教員となり三沢商高、弘前中央高校長を歴任。76年10月から4年間、旧南部町教育長を務めた。卓球選手としても活躍し県スポーツ賞を2度受賞している。 |
| 2006/09/23掲載 |
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佐藤 義広氏 (さとう・よしひろ=元六戸町議会議長)21日正午、病気のため六戸町内の特別養護老人ホームで死去。89歳。六戸村(現六戸町)出身。自宅は六戸町犬落瀬千刈田2の8。通夜は29日午後6時から、葬儀は30日午前11時から、いずれも六戸町犬落瀬若宮23、光昌寺で。喪主は長男で元県議会議員の純一(じゅんいち)氏。 1947年に六戸村議会議員に当選、連続4期(3期目途中から町制施行により町議会議員)。議長1期。日本消防協会副会長、青森県消防協会会長などを歴任。株式会社佐藤建設工業の創業者で、99年から代表取締役会長。社会福祉法人メープル最高顧問。 |
| 2006/09/22掲載 |
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大澤 一郎氏 (おおさわ・いちろう=元八戸市立市民病院院長)19日午前6時55分、肺がんのため八戸市内の病院で死去、78歳。茨城県結城市出身。自宅は八戸市根城6の10の26。告別式は25日午後1時から、八戸市小中野1の1の6、セリエ佛光堂で。喪主は妻恵美子(えみこ)さん。 東北大医学部卒。八戸市立市民病院副院長を経て、1978年から90年まで同院長。2001年に同初代名誉院長。全国自治体病院協議会代議員、八戸市医師会理事・副議長、介護老人保健施設サンライフ豊寿苑施設長などを務めた。 |
| 2006/09/09掲載 |
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川越 精作氏 (かわごえ・せいさく=前八戸市代表監査委員)6日午前、心筋梗塞(こうそく)のため青森市内で死去、69歳。八戸市出身。自宅は八戸市中居林綿ノ端17の28。火葬、通夜は近親者のみで行う。葬式は11日午前11時から八戸市十一日町58の1、願栄寺で。喪主は女婿裕道(ひろみち)氏。 1956年八戸市庁採用。財政課長、市民病院事務局長、健康福祉部長などを歴任し97年3月定年退職。代表監査委員は2000年4月から4年間務めた。 |
| 2006/08/25掲載 |
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穂積 たかさん (ほづみ・たか=三戸町最高齢者)23日午後5時30分、老衰のため、三戸町内の病院で死去、101歳。旧上郷村(現田子町)出身。自宅は三戸町八日町21。通夜は26日午後6時から、葬儀は27日午後2時から、いずれも三戸町同心町熊ノ林6の2、観福寺で。喪主は長男虎吉(とらきち)氏。 |
| 2006/08/20掲載 |
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高垣 啓一氏 (たかがき・けいいち=弘前大教授、糖鎖工学)16日午後3時17分、多臓器不全のため弘前市の病院で死去、53歳。仙台市出身。自宅は弘前市宮園1の1の13。葬儀・告別式は21日午前11時から弘前市南城西2の11の3、公益セレモニーホールで。喪主は妻曜子(ようこ)さん。 |
| 2006/08/18掲載 |
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山形 金次郎氏 (やまがた・きんじろう=山形博青森銀行取締役八戸支店長・デーリー東北新聞社監査役の父)15日死去、85歳。鶴田町出身。自宅は青森市篠田1の5の2。通夜は23日午後6時から、葬式は24日午後1時から、いずれも青森市栄町1の6の4、珍田メモリアルホールで。喪主は長男博(ひろし)氏。 |
| 2006/08/17掲載 |
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寺下 フクさん (てらした・ふく=元参院議員故寺下岩蔵氏の妻)15日午前9時5分、八戸市内の病院で死去、99歳。自宅は八戸市根城4の4の10。通夜は近親者のみ。葬式は22日午後1時から、八戸市柏崎1の6の6、八戸プラザホテルプラザアーバンホールで。喪主は長男寅五郎(とらごろう)氏。 |
| 2006/08/16掲載 |
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小西 皓允さん 三戸印刷社と三戸新聞社の社長である小西皓允(こにし・こういん)氏が十三日午後六時十三分、食道がんのため、南部町内の病院で死去した。七十三歳。三戸町出身。 デーリー東北新聞社編集局政経部、同編集本部などで勤務。一九九〇年に三戸新聞の再復刊を果たした。同新聞は三六年に同新聞社が創刊したが、二度休刊している。 自宅は三戸町梅内城ノ下三八。通夜は十七日午後六時、葬式は十八日午前十一時から、ともに三戸町同心町熊ノ林六ノ二、観福寺で。喪主は四女夫・田平聡(たびら・さとし)氏。 |
| 2006/08/12掲載 |
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田中 カンさん (たなか・かん、七戸町最高齢者)10日午後1時40分、脳梗塞(こうそく)のため七戸町内の病院で死去、108歳。自宅は七戸町七戸363の2。通夜は17日午後6時から、葬儀は18日午前10時から、ともに七戸町町7、青岩寺で。喪主は長男の勇(いさむ)氏。 |
| 2006/08/01掲載 |
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米田 慶助氏 (まいた・けいすけ=元三戸町立三戸小学校長)7月29日午前零時16分、南部町内の病院で死去。80歳。旧猿辺村(三戸町)出身。故人住所は南部町上名久井伊勢堂下33、喪主住所は八戸市尻内町下根市62の5。通夜は3日午後1時からの火葬終了後、葬式は4日午後1時から、いずれも南部町平広場36、南部町立中央公民館(旧名川町立中央公民館)で。喪主は長男巧(たくみ)さん。 1947年に教職につき、69年の東通村下田屋小学校を皮切りに退職するまでの17年間、校長を務めた。 退職後は旧名川町で社会教育やボランティアの振興に尽力。南部町老人クラブ連合会長なども務めた。 |
| 2006/07/21掲載 |
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久慈 吉野右衛門氏 (くじ・きちのえもん=岩手日報社相談役、元同社社長)20日午前3時35分、呼吸不全のため久慈市内の病院で死去、80歳。久慈市出身。自宅は久慈市侍浜町本町7の47の3。葬儀・告別式は近親者だけで行う。喪主は長男士郎(しろう)氏。お別れの会を盛岡市で開く予定。 |
| 2006/07/07掲載 |
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豊川 勵二郎氏 (とよかわ・れいじろう=元十和田市議会議長、豊川泰市十和田市議会議長の父)6日午前6時26分、呼吸不全のため十和田市内の病院で死去。81歳。十和田市出身。自宅は十和田市切田豊川28。通夜は11日午後6時から、葬儀は12日正午から、いずれも十和田市西十三番町4の28、十和田市農協本所で。喪主は長男泰市(たいいち)氏。 1975年の市議選で初当選し、連続4期。87年5月から議長を務めた。95年に勲五等瑞宝章、2003年には市褒賞を受賞した。 |
| 2006/07/04掲載 |
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池田 修一氏 八戸市在住の日本将棋連盟棋士・池田修一(いけだ・しゅういち)七段が三日午前八時四十分、急性心筋梗塞(こうそく)のため市内の病院で死去した。六十一歳だった。 池田氏は一九四五年生まれ。六〇年に「東海の鬼」と呼ばれた故花村元司九段に弟子入りし、六三年に初段、六九年に四段へ昇進してプロになった。七六年に五段、八八年に六段へ。七二年、八二年の「王位戦」では挑戦者決定リーグに進出。九三年に現役二十五年勤続で日本将棋連盟から表彰された。二〇〇〇年に現役を引退し、〇四年に七段に昇段。〇五年にはデーリー東北賞を受賞した。 各種棋戦で活躍する一方、北奥羽地方の棋界発展に尽力。三段に昇段した二十一歳のとき、肺結核を患い帰郷したのをきっかけに、地元の各大会やプロ棋士を招いての「はちのへ将棋まつり」を開催。同まつりは今年で三十回目を迎えた。また、本紙将棋欄を開設当初の七二年から現在まで担当するなど、地方を拠点にして活躍した。 自宅は八戸市石堂三ノ一一ノ一一。通夜は七日午後六時から自宅で、葬儀は八日午後二時から、八戸市長者一ノ二ノ七八の禅源寺で執り行う。喪主は妻節子(せつこ)さん。 |
| 2006/07/03掲載 |
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山内 弘氏 元衆院議員の山内弘(やまうち・ひろし)氏が六月三十日午後四時十分、多臓器不全のため、青森市内の病院で死去した。七十七歳。旧相馬村出身。自宅は弘前市黒滝一ノ川瀬三五。通夜は六日午後六時から、葬儀・告別式は七日午前十一時から、いずれも弘前市五所野沢四四ノ三、長慶閣で。喪主は長男で青森県議会議員の崇(たかし)氏。 旧制弘前中卒。一九六七年の県議選で初当選し、通算四期務めた。社会党(現社民党)の県本部委員長にも就任。九〇年に衆院選旧青森2区で、反核燃を掲げて初当選し、一期務めた。 |
| 2006/06/28掲載 |
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二ツ森 重志氏 (ふたつもり・しげし=元青森県教育長、八戸短期大学名誉学長)25日午後11時36分、急性心筋梗塞(こうそく)のため、野辺地町内の病院で死去、83歳。自宅は七戸町二ツ森家の後35の2。通夜、葬儀は故人の遺志により近親者のみで執り行う。喪主は長男隆尚(たかひさ)氏。 1974年から八戸東高校長、81年から84年まで県教育長、同年から八戸短期大学長を務め、94年から同大学名誉学長。 |
| 2006/06/17掲載 |
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前田 健治氏 (まえだ・けんじ=元警視総監)16日午前7時5分、前立腺がんのため東京都千代田区の病院で死去、66歳。東京都出身。葬儀・告別式は19日正午から東京都立川市柏町1の26の4、セレモアつくば立川会館白峯殿で。喪主は妻昭子(あきこ)さん。 東大卒。65年に警察庁に入り、青森県警本部長、大阪府警本部長などを歴任。宮内庁総務課長時には昭和天皇の病状を発表するスポークスマンも務めた。96―99年に第81代の警視総監を務め、厚生省汚職事件や、大手企業による総会屋への利益供与事件などの捜査を指揮した。 |
| 2006/06/13掲載 |
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柿本 太一郎氏 (かきもと・たいちろう=元蛯川小学校長)11日午前5時20分、五戸町の自宅で死去、96歳。五戸町(旧中市村)出身。自宅は五戸町正場沢5の4。通夜は14日午後6時から、葬式は15日午前11時から、いずれも五戸町愛宕後22の1、専念寺で。喪主は長男の祿郎(ろくろう)氏。 1929年、五戸尋常高等小学校で教職に就き、67年に五戸町立蛯川小学校長に就任、70年に定年退職した。98年には勲五等双光旭日章を受章した。 |
| 2006/06/09掲載 |
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天摩 正太郎氏 旧八戸観光協会の第三代会長で、八戸市の観光振興に尽力した天摩正太郎(てんま・しょうたろう)氏が七日午後一時二十分、心不全のため八戸市の病院で死去した。九十一歳。八戸市出身。自宅は八戸市鍛冶町二八。告別式は十二日午後一時から八戸市柏崎六ノ二四ノ一〇、メモリアルプラザ報恩で。喪主は長男で八戸観光コンベンション協会会長の正行(まさゆき)氏。 八戸商業高―明治学院大卒。シベリア抑留後、一九四八年に帰国し、銀行員を経て不動産会社を設立。六六年から八年間、八戸観光協会会長を務め、八戸三社大祭に前夜祭を新設したほか、旧・尻内駅から八戸駅への駅名変更に精力的に取り組んだ。 文学にも明るく、九二年から五年間、市文化協会会長。七五年度の市功労者で、八戸ロータリークラブ名誉会員。著書に自伝「我が人生は丙なりき」がある。 |
| 2006/06/04掲載 |
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夏堀 茂氏 (なつぼり・しげる=タウン誌「月刊ぷれいがいど東北」編集兼発行人)2日午後6時34分、心不全のため八戸市内の病院で死去、77歳。八戸市出身。自宅は八戸市根城2の11の23。通夜は近親者のみで執り行う。葬儀は8日午後1時から、八戸市柏崎6の24の10、メモリアルプラザ報恩で。喪主は長男晃(あきら)さん。 1967年9月、八戸商工会議所の広報を務めていたとき、八戸地域のタウン誌の草分けとなる「ぷれいがいど・はちのへ」を創刊し、後に現誌名に改称。約40年にわたり、表紙写真から随想、映画評、企画広告に至るまで、幅広く誌面づくりに携わった。著書に歌集「晩夏の蝶」、随想集「一市井人として」。 |
| 2006/06/04掲載 |
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砂庭 大作氏 (すなば・だいさく=南部名久井焼・見学院窯代表)2日午前2時20分、三沢市内の病院で死去、64歳。南部町出身。自宅は南部町平前ノ沢59。通夜は近親者のみで執り行う。葬儀は8日午後1時から南部町上名久井下モ町17の2、浄休寺で。喪主は妻賀子(よしこ)さん。 1965年、東京芸術学園卒業後、画家としてスタート。81年に日曜会入選、新洋画会奨励賞を受賞した。82年、自宅に登り窯をつくり、「南部名久井焼」の名称で多くの陶芸作品を制作。85年には十和田市に十和田湖休屋ギャラリーを開設し作品を展示した。 |
| 2006/05/29掲載 |
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蛯名 一一氏 (えびな・くにかず=みちのく信用保証代表取締役社長、元みちのく銀行取締役)27日午前11時37分、心不全のため青森市内の病院で死去、58歳。東北町(旧上北町)出身。自宅は青森市勝田2の18の2サニーパーク平和公園101。通夜は31日午後6時、葬儀は6月1日午後1時から、ともに青森市第二問屋町1の2の10の青森セレモニーホール眞照堂で。喪主は妻登志子(としこ)さん。 1996年4月、みちのく銀行広報部長、2001年6月、同取締役に就任。05年6月から現職。 |
| 2006/05/21掲載 |
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熊谷 あさ子さん 電源開発が大間町に計画する大間原発をめぐり、共有地分割や工事差し止めで同社と係争中の熊谷あさ子さんが十九日午後十時二十九分、むつ市内の病院で亡くなった。六十八歳。 大間町出身。自宅は同町奥戸小奥戸三九六。通夜は二十二日午後六時から、告別式は二十三日午前十一時から、いずれも大間町大間大間九八、福蔵寺で。喪主は二男正彦(まさひこ)氏。 体調を崩し、十五日から大間町の病院に入院したが、原因が分からず十九日に転院していた。 同原発の炉心近くに土地を所有し、建設計画に反対。このため電発は二〇〇三年、用地買収交渉の難航を理由に炉心位置を変更した。 共有地をめぐっては、電発が〇三年六月、熊谷さんらを相手に、青森地裁に共有地分割請求訴訟を起こした。同地裁は〇五年五月に請求を認め、仙台高裁も今年三月に一審判決を支持。熊谷さんは四月に控訴審判決を不服として上告した。 一方で、熊谷さんは電発を相手に原発建設工事の差し止めを求め提訴、青森地裁で争っていた。 熊谷さんを支援する原子力資料情報室は「遺志を引き継ぎ、原発建設計画の破棄のために全力を尽くす」と話している。 |
| 2006/05/13掲載 |
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巻 長a氏 (まき・ちょうご=元八戸市教育長)12日午後1時18分、急性心筋梗塞(こうそく)のため八戸市の病院で死去、76歳。八戸市出身。自宅は八戸市売市1の1の3。葬儀などの日程は未定。 八戸市立図南小の初代校長、白銀小校長などを歴任。その間、県教委三八教育事務所次長、八戸市教委次長なども務めた。1990年3月、城下小校長を最後に定年退職し、同年10月に市教育長に就任した。「心の教育」を学校教育の中核に据え、「教育都市八戸」を目指して2期8年間、同市の教育の充実と振興に尽力。2000年に市功労者表彰を受けた。 |
| 2006/05/10掲載 |
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蒔田 せつさん (まきた・せつ=知的障害者更生施設のぞみ園園長)9日午前2時23分、八戸市内の病院で死去。79歳。八戸市出身。自宅は八戸市柏崎2の6の17。通夜、葬儀は近親者のみで執り行う。告別式は12日午後1時から、八戸市小中野1の1の6、セ・リ・エ・佛光堂で。喪主は夫の富造(とみぞう)氏。 1971年に設立された社会福祉法人のぞみ会の常任理事と同年に開園したのぞみ園(八戸市大久保大山)の園長を務めた。 |
| 2006/05/08掲載 |
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吉成 ユキさん (よしなり・ゆき=吉成健二本社東京支社長の母)6日午前9時5分、八戸市内の病院で死去、84歳。八戸市出身。自宅は八戸市田面木外久保38の3。葬式は10日午後1時から、八戸市田面木上田面木7の1、善照院で。喪主は長男達男(たつお)氏。 |
| 2006/05/07掲載 |
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福島 惣七氏 (ふくしま・そうしち=福島漁業創業者)6日死去、89歳。自宅は八戸市鮫町上鮫57。葬式は10日午前11時から、八戸市鮫町小舟渡平9の19、八戸シーガルビューホテルで、福島家と福島漁業の合同葬で執り行う。喪主は長男哲男(てつお)氏。 1950年4月から個人事業としてメヌケはえ縄漁業を手掛け、66年2月、株式会社福島漁業を設立。85年4月まで社長、その後同社会長、太洋石油会長などを務めた。 |
| 2006/04/18掲載 |
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掛端 勝雄氏 (かけはた・かつお=京都青森県人会長)掛端勝雄さん死去八戸三社大祭と祇園祭懸け橋役 八戸市出身で、八戸三社大祭や八戸えんぶりと京都祇園祭の懸け橋役として尽力した京都青森県人会会長の掛端勝雄(かけはた・かつお)さんが十七日午前五時二十分、肝臓がんのため八戸市内の病院で亡くなった。六十八歳。自宅は京都市中京区壬生土居の内町二三。 掛端さんは自ら中心となり、祇園祭で山鉾(やまほこ)を巡行する京都市鯉山町と八戸市との交流を展開。二〇〇三年に鍛冶町町内会の山車を祇園祭へ参加させたほか、鯉山町の住民を八戸三社大祭に招くなど、草の根レベルでの親睦(しんぼく)を図ってきた。 また毎年、京都市で開催される全国都道府県対抗女子駅伝に参加した選手らを現地でねぎらうなど、青森県や八戸市の“応援団長”としての役割も担った。一九九八年十一月から市が委嘱する八戸大使も務めた。 友人でもある八戸観光コンベンション協会の天摩正行会長は「遺志を継いで、鯉山町との交流は絶対に続けていきたい」と話している。 通夜は十九日午後六時から、告別式は二十日午後一時から、ともに八戸市柏崎六ノ二四ノ一〇、メモリアルプラザ報恩で行われる。喪主は長男平尾幹也(ひらお・みきや)氏。 |
| 2006/04/12掲載 |
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小野 彦之■(Sの右側の「又」が「水」の右側)氏 (おの・ひこのじょう=青森トヨタ自動車代表取締役会長)11日午前7時51分、肺炎のため青森市内の病院で死去。91歳。青森市出身。自宅は青森市合浦2の6の14。トヨタ小野グループ各社と小野家の合同葬で、通夜は5月8日午後6時から、葬式は同9日午後1時から、いずれも青森市第二問屋町4の4の1、青森産業会館で。喪主は孫で同社取締役社長の大介(だいすけ)氏。1945年に創業、2003年から代表取締役会長。 |
| 2006/04/11掲載 |
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岩沢 克俊氏 (いわさわ・かつとし=元八戸市財政部長)8日午後11時10分、急性肺炎のため八戸市内の病院で死去、92歳。八戸市出身。自宅は八戸市柏崎2の4の14。通夜は11日午前11時からの火葬終了後、葬式は12日午後1時から、いずれも八戸市城下3の10の20、八戸セレモニーホール眞照堂で。喪主は長男克彦(かつひこ)氏。 1948年に八戸市庁入りし、72年から退職する75年まで財政部長。その後、八戸市公会堂の初代館長に就任し、78年まで務めた。 |
| 2006/04/08掲載 |
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小林 作造氏 (こばやし・さくぞう=元根城小校長)5日午後4時15分、病気療養中のところ八戸市内の病院で死去、79歳。自宅は八戸市糠塚蟹沢30の4。葬儀は8日午後1時から、同市北白山台2の2の3、メモリアルホール瑞雲白山台斎苑で。喪主は妻のツヤさん。 三戸北、道仏、白鴎、根城の四小学校の校長を歴任した。 |
| 2006/04/04掲載 |
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山本 ソテさん (やまもと・そて=むつ市の最高齢者)3日午前6時、老衰のため死去、103歳。むつ市出身。通夜は5日午後6時、葬儀は6日午前11時からいずれもむつ市脇野沢鹿間平57の2の自宅で。喪主は長男の一郎(いちろう)氏。 |
| 2006/03/30掲載 |
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沼山 專一氏 (ぬまやま・せんいち=元東北町議)28日午前零時40分、急性心不全と肺炎のため同町内の病院で死去。98歳。自宅は同町蓼内久保19。同町出身。通夜は30日午後6時から、葬儀は31日午前11時から、共に同町素柄邸84の7、高徳寺で。喪主は孫の剛(つよし)さん。 1963年に旧甲地村議に初当選し、同年11月の町制施行により旧東北町議を1期務めた。 |
| 2006/03/29掲載 |
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小山内 時雄氏 (おさない・ときお=八戸大学名誉学長)27日午後5時45分、急性肺炎のため弘前市内の病院で死去、92歳。自宅は弘前市若党町30。弘前市出身。葬儀は31日午前11時から、弘前市城東北3の12の1、公益デリーホールで。喪主は長男泉(いずみ)氏。 弘前大学教育学部教授などを経て、1981年から八戸大教授。85年から94年まで学長を務めた。青森県郷土作家研究会を設立するなど県内の文学界発展に貢献し、青森県文化賞や県褒賞、地域文化功労者表彰を受けた。 |
| 2006/03/28掲載 |
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工藤 敬一氏 (くどう・けいいち=元天間林村長)26日午前9時55分、七戸町内の病院で死去。86歳。自宅は七戸町舟場向川久保5の17。通夜は28日午後6時から、葬儀は29日午前11時から、いずれも七戸町森ノ上54の1、正洞院で。喪主は孫の譲(ゆずる)さん。 1951年に旧天間林村議に初当選し、63年から5期20年にわたって同村長を務めた。90年に勲四等瑞宝章を受章した。 |
| 2006/03/21掲載 |
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伊藤 タツさん (いとう・たつ=三沢市最高齢者)19日午後5時35分、三沢市内の病院で死去、101歳。新潟県出身。自宅は三沢市幸町1の1の1。前夜式(通夜)は22日午後6時から、告別式は23日午前10時から、いずれも自宅(大三沢教会)で。喪主は長女堀米百合子(ほりごめ・ゆりこ)さん。 |
| 2006/03/16掲載 |
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稲本 純一氏 (いなもと・じゅんいち=十和田商工会議所前会頭、十和田信用金庫会長)15日午前7時39分、肝臓がんのため入院先の弘前市内の病院で死去、69歳。十和田市出身。自宅は十和田市西一番町3の23。通夜は26日午後6時から、葬儀は27日午前11時から、ともに十和田市東一番町2の28の富士屋グランドホールで、十和田商工会議所、十和田信用金庫、稲本家の合同葬として執り行われる。葬儀委員長は会議所会頭の石川正憲氏、喪主は長男修明(しゅうめい)氏。 慶応大文学部卒業。鳩正宗社長、十和田ガス社長などを歴任、十和田商工会議所会頭は1991年4月から昨年12月まで連続6期務めた。十和田信用金庫理事長を98年から7年間務めるなど市経済、商工業界発展に尽力した。一昨年から体調を崩して入退院を繰り返し、十信の会長職に回るなどほとんどの要職を退いていた。 98年に藍綬褒章を受章、ほかに県褒賞、市褒賞などを受賞している。 |
| 2006/03/16掲載 |
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中野渡 保雄氏 (なかのわたり・やすお=青森県建設業協会会長)14日午前9時33分、出張先の東京都内で死去、81歳。十和田市出身。自宅は十和田市西二番町13の24。通夜は21日午後6時から、葬儀は22日午前11時から、ともに十和田市東一番町2の28の富士屋グランドホールで。喪主は長男悟(さとる)氏。 三本木農業高校を卒業後、三本木労働基準監督署勤務を経て、現在は同市の建設会社・工(つかさ)組社長。県建設業協会上北支部長、建設業労働災害防止協会県支部長、上北労働基準協会会長などを務めている。 1996年に勲五等瑞宝章を受章、昨年11月には市褒賞を受賞。 |
| 2006/03/15掲載 |
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中村 たまさん (なかむら・たま=中村寿文前八戸市長の母、故中村拓道元八戸市長・元衆院議員の妻)12日午前7時15分、病気療養中の八戸市内の病院で死去、86歳。十和田市出身。自宅は八戸市青葉3の28の1。告別式は22日午後1時から同1時半まで、八戸市柏崎1の6の6、八戸プラザアーバンホールで。喪主は長男寿文(としふみ)氏。 |
| 2006/03/14掲載 |
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八木田 喜市氏 (やぎた・きいち=元福地村議会議員)12日午後9時11分、八戸市内の病院で死去、83歳。旧福地村出身。自宅は南部町片岸40の1。葬式は16日午前11時から、南部町片岸砂場18の2、片岸集会所で。喪主は妻の敏子(としこ)さん。1955年から議員1期、67年から2年間、旧福地村教育長、84年と89年にデーリー歌壇の選者を務めた。 |
| 2006/03/12掲載 |
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木立 玲子さん (きだち・れいこ=フランス在住の日本人ジャーナリスト)9日、がんのためパリで死去、52歳。 青森市出身。国営ラジオ・フランスでプロデューサーなどを務めた後、フリーのジャーナリストとして欧州の文化や社会問題、医療など幅広い分野について執筆活動を行った。著書に自らの乳がんの体験をつづった「フランス流 乳ガンとつきあう法」や「きままにフロムヨーロッパ」など。 |
| 2006/03/06掲載 |
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林 みどりさん 八戸市の学校法人林学園長として料理学校など職業教育のための学校経営に務めてきた林みどり(はやし・みどり)さんが五日午前六時五十二分、病気療養中の同市内の病院で死去した。九十一歳。八戸市出身。約半世紀にわたって「食」に携わる人材をはぐくんだ。育成した調理師はプロの料理人として市内はもちろん、国内外で活躍している。 宮城県立女子専門学校食物専攻科(現東北大農学部)卒。青森県立三戸高校などで約十年間、家庭科の教師を務めた。退職後、元同僚の依頼を受けて料理を教えたのがきっかけとなり、料理教室を始めた。 一九五七年に県公認林料理学校、七二年に八戸調理師専門学校を開校。料理の研究指導と調理師の養成に当たり、有為な人材を世に送り出した。国際ソロプチミスト八戸の初代会長を務めるなど、女性の地位向上にも貢献。九七年度デーリー東北賞、二〇〇一年度青森県褒賞をそれぞれ受賞した。 自宅は八戸市根城六ノ一九ノ一九。通夜は七日午後六時、葬儀は八日午後一時からいずれも八戸市吹上一ノ一五ノ九〇、八戸パークホテルで行う。喪主は三男正史(まさぶみ)氏。 |
| 2006/03/05掲載 |
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宮内 セキさん (みやうち・せき=十和田市の最高齢者)2日午後8時32分、肺炎のため十和田市内の病院で死去、107歳。十和田市出身。通夜は6日午後6時、葬儀は7日午後1時から、いずれも十和田市米田種原160の自宅で。喪主は孫の正美(まさみ)氏。 |
| 2006/02/23掲載 |
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坂本 正栄氏 (さかもと・まさえい=六戸町議会副議長)21日午前1時、六戸町内の自宅で死去、64歳。六戸町出身。自宅は六戸町犬落瀬金沢15。通夜は24日午後6時から同町犬落瀬若宮23、光昌寺で、葬儀は25日午前11時から自宅で行う。喪主は長男哲宏(てつひろ)氏。 1991年4月の町議選で初当選し連続4期。2003年5月から副議長。金矢良質米生産組合長などを歴任。 |
| 2006/02/12掲載 |
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柴田 黎二郎氏 (しばた・れいじろう=デーリー東北新聞社元取締役)11日午前11時55分、呼吸不全のため黒石市内の病院で死去。79歳。黒石市出身。自宅は黒石市浦町1の4。通夜は14日午後6時から、葬儀は15日午前11時から、いずれも黒石市乙徳兵衛町34、松安閣で。喪主は妻喜江(きえ)さん。 県立弘前中学校(現弘前高校)卒業後、産経新聞記者などを経て、1964年にデーリー東北新聞社入社。青森支社長、論説委員長、編集局長、取締役を歴任。 79年から長年にわたりコラム「天鐘」を執筆した。著書に「柴黎の天鐘」など。 |
| 2006/02/10掲載 |
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上久保 定視氏 (かみくぼ・さだみ=元中居林小学校長)6日午後6時12分、腎不全のため八戸市内の病院で死去。80歳。下田町出身。自宅は八戸市長者1の7の18。葬儀は八戸市柏崎6の24の10、メモリアルプラザ報恩で。喪主は長男の隆視(たかし)氏。 川部小、金浜小、中居林小の校長を歴任し、1986年に定年退職した。 |
| 2006/02/05掲載 |
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松尾 市兵衛氏 (まつお・いちべえ=三戸町国際交流推進委員会委員長、元町教育委員会委員長)4日午前9時18分、脳梗塞(こうそく)のため、三戸町内の病院で死去、78歳。三戸町出身。自宅は三戸町六日町22。通夜は8日午後6時、葬儀は9日午前11時から、ともに三戸町川守田柏梨52、住谷野セレモニーホールで。喪主は長男晃和(てるかず)氏。 2001年発足の国際交流推進委員会委員長に就任。町とオーストラリア・タムワース市の姉妹都市締結に尽力。町教育委員長、町商工会副会長、町観光協会長、三戸地方剣友会長なども務めた。 |
| 2006/02/02掲載 |
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南谷 光男氏 (みなみや・みつお=八戸テレビ放送代表取締役社長)1日午後1時37分、心臓突然死のため、八戸市内の病院で死去、76歳。むつ市出身。自宅は青森市花園1の14の4。葬儀の日程は未定。 青森放送取締役八戸支社長、アールエービー開発常務取締役などを経て、1989年に八戸テレビ放送専務取締役に就任。2002年6月から代表取締役社長を務めている。03年12月、ケーブルテレビ業界の発展に尽くしたとして、「ケーブルマン・オブザイヤー」を東北で初めて受賞したほか、04年6月に第16回ケーブルテレビ功労者表彰を受けた。 |
| 2006/01/15掲載 |
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青森県議元副議長 丸井 彪氏 十和田市選出の自民党県議で元県議会副議長の丸井彪(まるい・たけし)氏が十四日午後一時すぎ、入院先の十和田市内の病院で死去した。七十四歳。自宅は、十和田市西十一番町四ノ一四。葬儀の日取りは未定。 同氏は、一九八三年に県議に初当選し、現在六期目。文教公安、環境厚生など各委員会の委員長を歴任、九五年五月から九七年八月まで副議長を務めた。県議会議員在職二十年表彰も受けている。 八七年からは自民党十和田市支部長を務め、現在は自民党青森県連副会長。この間、同県連総務会長なども務めた。このほか、稲生川土地改良区理事長、県土地改良事業団体連合会副組合長など務めている。七三年から八二年までは丸井重機建設の代表取締役。三本木農業高校卒。 |
| 2006/01/15掲載 |
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橋本 榮子さん (はしもと・えいこ=橋本八右衛門八戸酒類社長の母)14日午前10時5分、肺炎のため八戸市内の病院で死去。95歳。同市出身。自宅は同市長根1の7の37。告別式は20日午後1時から同市柏崎1の6の6、八戸プラザアーバンホールで神式により執り行う。喪主は長男八右衛門(はちうえもん)氏。 |
| 2006/01/13掲載 |
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八森 幸之助氏 (はちもり・こうのすけ=上北職業能力開発協会顧問)11日午前6時、心筋梗塞(こうそく)のため東北町内の自宅で死去、81歳。自宅は東北町上北北2の32の59。通夜は14日午後6時から、葬儀は15日午前11時から、ともに東北町上野山添90、心月寺で。喪主は長男幸夫(ゆきお)氏。 1993―2001年まで上北職業能力開発校の校長を務め、01年から現職。05年春に瑞宝単光章を受章。 |
| 2006/01/11掲載 |
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相馬 忠男氏 (そうま・ただお=八戸警察署副署長・警視)10日午前9時43分、急性心不全のため青森市内の病院で死去。54歳。黒石市出身。自宅は青森市浪館前田2の26の5。通夜は14日午後6時から、葬儀は15日正午から、いずれも青森市本町1の1の4、常光寺で。喪主は妻秀子(ひでこ)さん。 1969年に青森県警に入り、金木署次長、県警本部広報課広聴官などを歴任。2004年3月から八戸署副署長。 |
| 2006/01/06掲載 |
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三浦 敬三氏 冒険スキーヤー三浦雄一郎さんの父で、日本スキー界の草分けの一人、三浦敬三(みうら・けいぞう)氏が五日午前二時三十二分、多臓器不全のため東京都文京区の病院で死去した。百一歳。青森市出身。自宅は東京都練馬区。葬儀・告別式は十一日午前十一時半から東京都中野区中央二ノ三三ノ三、宝仙寺で。喪主は長男雄一郎(ゆういちろう)氏。 一九二四年に北海道大スキー部で本格的にスキーを始め、青森営林局勤務時代に八甲田山で山スキーを開拓。全日本スキー連盟の技術員として技術書の編さんをしたほか、スキー製作の研究者でもあった。 八一年には雄一郎さんと、孫で長野五輪モーグル代表の豪太さんら親子三代六人でアフリカ大陸最高峰、キリマンジャロに登頂し、スキー滑降。七十七歳での最年長記録を達成し、十一歳だった豪太さんも最年少記録だった。スキーを履いて世界の山々をカメラに収める山岳写真家でもあり、六一年には世界山岳写真ビエンナーレ展に入賞するなどした。 白寿を迎えた二○○三年二月には、孫を含めた一家三代で、欧州のモンブラン氷河をスキー滑降。百歳を超えても国内外でスキーを続けた。 |
| 2006/01/06掲載 |
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佐藤 眞太郎氏 (さとう・しんたろう=総務省青森行政評価事務所長)4日午前0時13分、肝不全のため東京都内の病院で死去、56歳。福島県出身。自宅は東京都江東区住吉1の2の21の503。通夜は6日午後6時から東京都江東区白河1の3の32、霊厳寺で。告別式は7日午前11時から同所で。喪主は妻英子(えいこ)さん。 金沢大卒業後、1973年行政管理庁入庁。総務庁行政監察局副監察官、総務省統計局統計基準部調査官、同省秋田行政評価事務所長などを歴任した。 |
| 2006/01/05掲載 |
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田頭 正且氏 (でんどう・まさかつ=高館幼稚園長、桔梗野保育園長)1月1日午前8時20分、八戸市内の病院で死去。74歳。青森市出身。自宅は八戸市市川町尻引前山31の1。通夜は6日午後6時から、葬式は7日午前11時から、いずれも八戸市城下3の10の20、八戸セレモニーホール眞照堂で。喪主は長男直門(なおと)氏。 教育功労者として2001年11月に県褒賞、市褒賞を受けた。 チョウチョウを中心にした昆虫の生態研究でも知られた。 |
| 2006/01/04掲載 |
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阿部 行伸氏 (あべ・ゆきのぶ=元八戸市立鮫中学校長)2日午後3時52分、八戸市内の病院で死去。71歳。八戸市出身。自宅は八戸市糠塚長久保4の7。通夜は5日午後4時から、八戸市北白山台2の2の3、メモリアルホール瑞雲・白山台斎苑で近親者のみで執り行う。葬儀は6日午後1時から、八戸市類家2の2の45、廣澤寺・大心殿で。喪主は長男光寿(みつとし)氏。 鮫中校長を1992年から94年までの2年間務めた。 |
| 2006/01/03掲載 |
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田村 三郎氏 (たむら・さぶろう=元五戸町議)1日午後8時43分、八戸市内の病院で死去。88歳。五戸町出身。自宅は五戸町新丁5。通夜は4日午後6時から、葬式は5日午前11時から、いずれも五戸町愛宕後22の1、専念寺で。喪主は長男哲也(てつや)氏。 合併前の五戸町議を連続5期務めた。 |